次女~その後~
診断がついてからは、もっとできる事を増やしたい、出来なくなってしまった事をもう1度できるようにさせたいと思い支援
をしてくれる学園に通う事にしました。保育の時間や、訓練もできる母子で通う肢体不自由児だけの場所。不安でした。
他のお母さんと話せるかが…。
登園初日、初めての場所で落ち着かない次女。私も不安で落ち着かず。
ぞくぞく登園してくるお母さん方。挨拶をするたびに私は孤立感を半端じゃなく感じました。
なぜなら、寝たきりの子がほとんどだったから。うちの子は場違いなのでは?そう思われてるような気もしていました。
既に仲良しのお母さんグループに入っていくのは本当に大変です。
初めて話しかけてくれたお母さんに、聞かれた事を返すだけの一言で会話が全然弾まず…。
私自身、避けていたり、話しかけづらいオーラをだしていたんだと思います。
同じ話ができないと私は思っていたからか、半年間は人が少ない日をめがけて登園していました。
今年の4月から長女が小学校へ上がったので2週に1日から1週に1日に増やしてみる事にしました。
この時には、お母さん方とのコミュニケーションは問題なくなったものの、次女は相変わらず泣く日々。
決まった事をやるというのは次女にはかなり困難で自由人です。先生方もわかってくれてるので無理強いはしません。
ですが、現在通って1年になりますが保育、訓練(PT)(ST)はもちろん泣いています。
日数を増やしてもっと慣らすというのもありですが正直泣いてるわが子をみるのは辛いです。
毎日泣かれるとたまったもんじゃありません。私もストレス、子供もストレスになります…。
家ではほとんど泣かないので余計に疲れます。だから、デイに頼っちゃうんですよね。
デイでも、よっぽどの事がない限り機嫌よく過ごしてるようなので(笑)デイ様様ですね。母も休息が必要!(笑)
話は、変わって身体障害者手帳と療育手帳がわが子にも交付されました。
身障手帳1級、療育手帳A判定。療育手帳は地域によっては愛の手帳ともいうみたいですね。
次女は歩く事は出来ますが、せいぜい100Mが限界。去年の冬にバギーを作ってもらいました。
これがホント役に立つ!作る前までは赤ちゃん用のベビーカーやバギーに乗せてましたが足が地面に着くんです。(笑)
赤ちゃん用のバギーはリクライニング出来ないのですがこれは出来る!画期的なものがキターーー!と喜びました。
週末は出かける事が多いので既に元を取ったぐらい使わせていただきました。でも重いんです(笑)
片手でヒョイとはいかない。両手でヨッコイショじゃないと車に乗せられない(笑)持ってる方だったらわかりますよね。
他にはUFOという歩行器、バンビーナという椅子とテーブルが一体化できるものも作ってもらいました。
歩行器はデイ用で、バンビーナは家での食事の時に使っています。
他にも手帳で割引が受けられるものもたくさんあり障害者には助かる社会になっているんだと実感。
世の人々も障害者に対して偏見を持たない日が早く来てくれればと願う毎日です。
なぜでしょうね。奇声をあげていたり、周りとは明らかにおかしいと思われる動作をしている人を見てしまう。
最初は出かけるのも嫌でした。周囲の視線が気になりまた孤独な気分になるから。
でも気にしてたらどこにも行けないやと踏ん切りをつけて、ポジティブに考える事にしました。
主人は未だに周囲の視線が気になっているように思えます。口では全然とは言ってますけどね。
書き漏れた事もあると思いますがとりあえずこんな感じで毎日更新していけたらいいなあ(笑)
次女~後篇~
翌年2月頃、口に手を入れる事が多くなってきて手荒れが酷かった為皮膚科へ。
薬でよくなりましたが、口に手を入れるのは治らず、再発防止として軍手をはかせる事にしました。
この時既に症状が出ていたとも知らずに…。
同じ年の5月。遂に事は起きました。
朝、いつも通り次女をデイへ送っていき帰宅した私。
デイから電話がかかってきて、「OOちゃん10分間で2回倒れてお電話しました。」
一瞬頭が真っ白になり、急いでデイへ!!
迎えに行くと、いつも通り。ですが、心配だったので連れて帰り様子を見ていました。
その日は、何事もなく終わり、なんだったのかなと思っていました。
次の日の朝、いつも通りに起きてきた次女。大好きなTVを見ていたらバタン!すぐ立ち上がったので何かにつまずいた
のだと思っていました。
が、次の瞬間ほぼ垂直に後ろへドン!と倒れました。しばらく起き上がらず、ですがそのあとに何かあるわけでもなく。
以前、歩行が不安定でヘッドギア(保護帽)を購入し装着していたのでダイレクトに衝撃を受けていなかったのが救いで
す。
機嫌は良好。混乱しました。どうしたらいいかもわからず。とりあえず、かかりつけの病院へ電話しました。
ですが、急患をみてくれる病院ではないようで他をあたってと言われ。絶望しました。
何のための病院なんだ。どうしたらいいかも教えてくれない。
いつも頼っているデイの方にこの事を話すと、風邪等でかかる個人の小児科をすすめられました。
私も、とりあえず診てもらいたく急いで受診しました。
もう、どうしたらいいかもわからずだんだん悲しくなってきて医師に話しながら私は泣いていました。
医師は大病院をすすめてきました。個人病院ではどうすることもできないのでね。
診察時間ギリギリでしたが、すぐさま大病院へ。
道中、何も知らない主人に連絡をし結果がわかったら折り返し連絡をすると言い電話を切りました。
大病院に着き、長い待ち時間を覚悟していましたが案外すぐに呼ばれ今までの事を話しました。
検査もするので入院をすすめられました。
兄姉の心配があったので実家の祖父母に連絡するとすぐに来てくれました。
入院用具を取りに帰り、病院に戻ってくると入院担当の医師に歩いてる様子を見せてほしいと言われました。
離した数分後またバタンと倒れ、今度は黒目は上を向き、呼吸は止まって、体は固まってびくびくとしていました。
慌てる私。次女が死ぬんじゃないかと初めて恐怖でいっぱいになりました。
医師はそのままなにもしないでと一言。時間を計っていました。
10秒ぐらいして”うわーん”と次女は泣き出しました。
そう、これが発作というらしいです。
その後の検査で次女のこの症状はてんかんと診断されました。
テグレトールという薬を飲み始め効くまでに数日かかると言われました。
入院中、休日の前の日は外泊をして、自宅に帰るなどストレスがかからないようしていましたが自宅でも大発作が起き
たりで大変でした。初めて発作をみる主人はあたふたしていました。(笑)だよね…と思ってました。
10日間の入院生活が終わり自宅で療養。いつもの生活が始まると思っていました。
ですが、大きな発作はないものの就寝してから2~3時間後に小さな発作が起こる毎日でした。
退院から1か月後、診察に行った時に聞いてみました。チアノーゼが出たり発作が止まらない等の症状が出ない限りは
様子を見てて大丈夫と言ってました。その言葉を信じてましたが、退院してから声を出すことがなくなり、手の機能が一
気に衰えた気がしていました。診察の際に言っても聞いてくれるだけで解決はしないんですよね。
7月の診察の前日、主人がインターネットである病気の事を教えてくれました。
次女と症状がぴったり重なる「レット症候群」。
ほとんどが女児に起こる。知能や運動機能の遅れ、手を洗うように揉む、手を口に入れたりなどの動作を繰り返す。
これだと思い診察時に聞いてみました。
すると、医師からは医科大学病院に専門の方がいるので紹介状書きますね。と…。また検査か…。
正直疲れました。最初からデータを送ってくれればいいのにどこに行っても何度も同じような検査ばかり。
数日後、紹介状を持って医大に行きました。その日は、採血と心電図をとって終わりました。
1か月後、結果を聞きに行きました。診断名はレット症候群。
MeCP2というものに異常がみられるそうです。話が難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
ですが、やっと診断名がわかったという解放感。これからどうすればいいかがみえてきたような気がしました。
凄く話しやすい医師で心配なことはなんでも聞けました。就寝時に発作が起こるのを話すとデパケンというてんかん薬
に変えてくれてその薬がすごく効きました。夜もぐっすり寝てくれるようになったんです!
身体障害手帳や療育手帳(知的)、障害児の給付金制度、小児慢性疾患の医療費の事も教えてくれました。
この方には本当に感謝しています。現在も2か月に1度通っていますが、友達のように話せる先生だと思っています。
長文閲覧いただき有難うございました(^O^)/
次女~中篇~
引っ越してからすぐに1歳6か月健診がありました。
長女と次女を連れ、役所へ。
身長、体重、そして保健士からの聞き取り。
保健士「OOちゃん言葉はでていますか」
私「ばあ!なら言えます」
保健士「ママだとかバイバイだとかは言えますか?」
私「言えないですね。」
保健士「バイバイと手をふりますか?」
私「いえ、しないです」
保健士「では、次は医師の診察になります。」
来た時から同じ月齢の子との違和感はあったもののあまり気にしてませんでした。
勝手に言葉も覚えていくと思いますよね。
当時”いないいないばあ”が好きだったので、ばあ見る?と聞くとばあ!と答えていました。
医師の診察では「発達がゆっくりですね。一度耳鼻科で耳の検査をしてみてください。」と言われました。
すぐに近所の個人病院へかかりました。
ですが、診察では異常なく、詳しく検査する機械もないので大きい病院を紹介されました。
結果異常なし。
保健士さんに連絡をして経過観察で終わりました。
ちょうど風邪を引いていたのでついでに個人の小児科でも相談してみました。
その時は「あと3か月様子をみてそれでも言葉が増えなかったらまた来て」と言われ様子をみてました。
ですがやっぱり増えず。再度個人病院へ。
大病院の小児科の紹介状を渡されました。
内心、また検査か~。と疲れ気味になっていました。
大病院では、脳波とCTを撮りました。
結果、脳の病気はないですね。一応診断名は精神発達遅滞ということで。2か月後また来てください。とのこと。
精神発達遅滞?何?知的障害か?と思い家で調べると医師にも原因がわからない発達の遅れみたいですね。
薬で眠らせてまで検査をし結果異常なし。
疲れました。そして、帰宅後この薬が怖くなりました。
次女が目覚めると大人の泥酔のように足元がフラフラに!!
ただでさえしっかり歩けないのに。その日は1日中抱っこしてました。
翌日には薬も切れたようでいつも通りの次女でした。
半年間この病院を通っていましたが次女は全く喋らず。さすがに焦りました。
2歳になっていたので発達専門の病院を予約することにしました。
その事をかかっていた医師に伝え、データを送ってもらうことになりました。
この時期、長男がデイサービスに行き始めたばかりだったのですぐに次女もデイを利用することにしました。
言葉の遅れと不安定な歩行が少しでも良くなればと思いを込めて。
発達専門の病院では今までの発達状況の聞き取りが主にでした。
ですが、小児科以外にも訓練もできる病院でしたのでまずはそこから始めましょう。と言われました。
言語療法(ST)、作業療法(OT)。それぞれ専門の療法士がいて次女の好きな事をしながら訓練してました。
この病院では小児科は3か月に1回、訓練は1~2か月に1回でした。
STでは、写真を使って物の名前を覚える事や本の読み聞かせ。
OTでは、指先を使った細かい運動。
毎回泣くほど嫌な様子。ですが、心を鬼にして頑張らせました。
次女~前篇~
この記事は2018年1月のものです。
最後に次女を紹介します。
3人目の妊娠がわかり少々戸惑っていました。経済的に裕福ではなかったので貧困になるのは、、、と。
ですが、堕ろすという選択肢はなかったので産んだらフルで働けばいいとその時は思いました。
当時パートで仕事をしていたのですが妊娠を伝えるとおめでとう!楽しみだね!と嬉しいお言葉が。
辞めさせられると思っていたのですが働けるまでいてくれたら良いといわれました。
すごく、働きやすくて融通もきくという。素敵な職場だったんです。
経過も順調でした。つわりもなくストレスも感じませんでしたね~。
上の子達も保育園でしたので検診に連れてく事がなく楽でした。
長男はところ構わず走り回るし、長女はお漏らしする心配があるので。
体重も長男と同様のトータル8kg!だったので優秀な妊婦でしたよ(笑)
仕事も予定日の2週間前まで働きました。戻っておいでと言われてたので長期休暇を頂きました。
パートで産休、育休がもらえるとは驚きです。
そして、最後の妊婦検診。前兆が全くないのを医師に伝えるとこの日入院ねと。
また、、、何でうちの子達は予定日を超過するんだろう、、、
陣痛よ来い!と願いましたがそれは届かず、、、入院しました。
長男と同じ方法で1日目は薬と点滴で誘発したんですが変化なし。
2日目にはバルーン入りました。
またあの痛みと戦うんです。辛いのなんの。
陣痛室でひたすら痛みを耐える私。え?主人?もちろんです(笑)←省略
分娩の度に仕事を休んで立ち合ってくれてますがいる意味ないですから(笑)
妊娠中、3人目は男の子を望んでいたのであえて性別を聞きませんでした。
いざ産んでみると、
40w6d 3146gの女の子でした~!
その時はがっかりしたんですが顔を見ると思っていた事も吹っ飛びました。
なぜなら、まつ毛がツケマのように長くボリュームがあって顔立ちがはっきりした美人さんでした(笑)
髪の毛は薄かったのですが上の子達もそうだったので仕方ないですよね。
入院中に子供達も面会にきたのですが騒ぐ長男、一緒になって遊ぶ長女。
主人に怒られ早々と帰って行きました。面会に来たのはその1度だけです。
退院後は長女の時もそうですが、実家には行かず自宅で頑張りました。
生後6か月まで自宅で育てていました。発育も順調でした。
保育園に空きができたので通う事にしました。同時に仕事にも復帰しました。7か月でした。
この頃はお座りができる時期かな?
3人連れての保育園の送迎は疲れますね。朝起きない息子、マイペースな長女、赤ちゃんの次女。
4人、5人、6人お子さんがいらっしゃるお母さん尊敬します。3人でヒーヒー言ってますよ。私(笑)
保育園に行きだしてから、はいはいをしたり、つかまり立ちをしたりと活発なご様子。
初めてのお遊戯会で名前を呼ばれた時は、「はい!」としっかり手を挙げて返事をしていたのを思い出します。
1歳2か月を過ぎた頃、つかまり立ちは早かったもののなかなか歩かない。
まー、そのうち歩くだろうと思ってました。結局、退園する数日前にやっと歩けるようになったのです。
1歳6か月でした。まだフラフラだったので手を引いたり抱っこしたりでしたね。
大変お世話になった職場も引っ越す1週間前に辞め、いざ都会へ!
まずは1年間、長男の様子を見る為に仕事はしないと決めてました。
家族が増え、引っ越した事で生活が苦しくなると思ってましたが意外とやっていけるものですね(笑)
ですが、この後仕事が出来なくなるとは思いもしませんでした。
長女~後篇~
通っていた保育園では年少になる少し前からトイレトレーニングが始まります。
これが一番大変でした。なぜなら、今でも寝る時は紙パンツだからです。
年少になっても保育園で漏らしてしまう事が多々あり、漏らしてもなかなか言わないようでした。
家でもトイレには行くのですが間に合わなかったりと。1日に3回トイレ掃除なんてザラでした。
声掛けや一緒に行くなどしていたのですが全然効果なし。
トイレ問題はどう解決するのでしょうか?本当に悩んでいます。
年少で保育園も辞め、新しい場所で生活が始まりました。
共働きしていないと保育園に通えないと思っていたのでどこにも通わせませんでした。
幼稚園という選択肢もありましたが、お金がかかるイメージを持っていたので、、、
後々聞くと、戻ってくるみたいですね。
年中時代を家庭で教育してみました。
1か月に1度、保育園や幼稚園で遊べる日があってなるべく参加してました。
いつも家にいると、他の子と遊べなくなるんじゃないかと心配になります。
児童センターなど子供の遊び場は沢山あるのですが家の近くにはなく、引っ越して2か月で私が事故を起こしてしまい自家用車はなくなりました。
すぐに買うことは出来たのですが、事故のショックで乗りたくなかったんです。私が悪いんですけどね。
3か月後、車がないのはやっぱり不便なので購入する事にしました。
人気な車だそうで納車まで2か月かかりましたが雪が降る前にきました。
話は戻りますが、どこにも行かないのなら何か習わせたいと考えました。
ピアノ、英語、バレエ、プールなど。いっぱいありますね、習い事。
長女はヒップホップダンスにしました。響きだけでいうとカッコいいですよね。
年少頃からダンスや歌などが好きなようで毎日ライブ状態でした。
これがまた凄くて。スイッチが入ると自分の世界から出てきません(笑)
可愛い顔を作ってみたりウィンクの練習してみたりとみてるこっちが恥ずかしくなるくらいです。
週1回でしたが通うのにもまだ車がなかったので田舎の祖父にお願いして毎週きてもらってました。
今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本人は楽しくやっていたので通わせて良かったなと実感しました。
ですが、次の年度で保育園に通う事になったので1年で辞める事に。
続けさせたかったのですが月謝が高い、、、(笑)
仲の良い友達も辞めると言っていたので本人もすんなり辞められました。
祖父には数か月付き合ってもらいましたが、来てもらった意味、、、ごめんなさい。
保育園といいましても私が働いていなくても良いんです。
幼稚園のような保育園で9時から13時までの4時間だけです。
短いですがいるのといないのとでは違いますね。
1年ブランクがあったものの、保育園に通い始めた長女にトイレ以外の心配はしていませんでした。
が、長女は知らない子に全く寄っていかない、、、話しかけられても知らん顔。
やられた~!この1年はとっても大事な1年だったんだと痛感。
担任の先生は最初はこんなものです。必ず打ち解けると言ってました。
それから7か月、、、様子を見てると話せるようにはなっていますが家にいる時とは正反対で。
家では、ギャーギャー騒いだり兄の友達(男の子)と遊んだりと活発なのですが。
保育園では猫をかぶっているようにしか見えません。凄く乙女で気持ち悪い(笑)
ですが、昼間のトイレ問題はほぼ解決しました。あとは夜だけ。
卒園まで残り数か月。小さい時に手がかからなかったツケが回ってきたんでしょう。
今がとても大変です。口が達者で、イタズラが大好き。
私のスピーカーのようです。聞いてないようでちゃんと聞いてるんですね。
言葉には気を付けなきゃダメだと思いました。(笑)
後ほど長女の面白エピソードを載せますね!!
閲覧有難うございました(^v^)
この記事は2018年1月のものです。
長女~前篇~
この記事を書いたのは2018年1月のものです。
次に長女を紹介します。
先に1ついうなら、今のところ健常者です。
長男も次女も難があったのでこの子もこれから何かあるのではと疑っています。
妊娠がわかってから検診も順調で、長男の時にトータル8kgしか体重が増えなかったので油断してました。
長女の時はトータル14kgも増えました(笑)
戻すのにかなりかかりました。
臨月に入った頃看護士さんから、「2人目なので1人目のように大変じゃないだろう。」と言われてました。
信じてました。ですが、陣痛が来ない。なぜーーーーーーー!!
40wの検診時に医師から、「この日までに陣痛が来なかったら入院。」とのこと。
またか、、、今回は上の子がいたから結構運動したのにな~と思ってました。
入院の前日。
!!!!!不規則にじわじわ痛む下腹部。これか?これが陣痛なのか?
率直に嬉しかったです(笑)また入院だと思っていたのでね。
痛みが少し強くなったので病院に電話。来てください!とのことでした。
なんと子宮口6cm。全開まで耐えいざ分娩台へ。
踏ん張りどころを間違えたのかそこじゃないよ~と指摘されました(笑)←食事中の方すみません
難なく出産いたしました。ただ、切開をした場所を縫うのが痛かった。
もちろん主人も立ち合いましたがやっぱり何を言っていたのか思い出せません。(笑)
2人目は性別を聞いていたのでどんな可愛い子が生まれてくるかとワクワクしてました。
出産直後に顔を見た瞬間、あれ?まつ毛ない、、、目が小さい、、、鼻が残念、、、髪の毛ない、、、
なんてブサイクーーー!!
時代は進んでますから、マツエクやアイプチなどいろいろ何とかなるでしょうと前向きに(笑)
41w1d 3228gの元気な女の子でした。
入院中、親や主人の義母さん、友達も見に来てくれましたがみんなブサイクだと思ったでしょう。
いいんです。ブサイク=ぶさかわなんです。
その後も順調に育っていって、何しろ上の子に手がかかっていたので本当に楽でした。
7か月から保育園に通っていたので気づくとなんでも出来ていました。正直自分で育てた感がないです。
愛情不足と思われてもおかしくないですよね。
一向に髪の毛は伸びなかった、おしゃぶりがなかなか外れなかったという印象です。発達は標準でした。
長男~後篇~
それから3歳、4歳となり園では活発な子というだけでトラブルはほとんどありませんでした。
知能も3歳でほぼ”あいうえお”読めてましたし、言葉の遅れもなしです。
ですが、1つ気になった事が。
卒園式は年少から出席になるのですがうちの子は断られました。ずっと椅子に座ってる事が出来なかったようです。
その時はあまり気にならなかったのと、それが障害だとは思いもしませんでした。
年中の卒園式には次の卒園児という事もあり出席しました。寝てしまう事もあったけれど頑張っていましたと。
そうなんです!睡眠時間は乳幼児から比べて夜中起きる事はなくなりましたが、11時頃寝て7時に起きる。
1日10時間が望ましい時間が8時間という。週末は寝かせない限り何時まででも起きてる感じです。
懇談の度に早く寝かせてくださいと何度言われたことか。
ここからが本題です!!
年長になった夏のある日。
担任の先生から巡回相談の話が持ちかけられました。
何それ??みんな受けるもの??
園のお母さん方にも聞きましたが皆さん首を横に振る一方で。
何でうちの子だけ。男の子だしこのくらいは普通でしょ。そう思ってました。
先生は、大きな問題はないけれど学校に行く上で落ち着きのないのが少し気になるので何もなくても一度専門の方に相談しましょう。と言ってました。
しぶしぶ受けることに。
巡回相談当日。地方から来た専門の方2名。
子供だけで受けるはずの検査でしたが、母から離れる事が出来なかった長男君。母も同行して簡単な検査をしました。
そのあとは子供の事の聞き取り。
結果、やはり多動な面が強く出たようです。検査中は立ったり叫んだりなんてことはなかったんですがね。
大きな病院で専門の先生にかかってみてくださいと言われました。
え?やっぱりなんかあるの??
後日、病院の予約を取り受診しました。
そこでも多動が指摘され、初めてADHDの事を聞かされました。
受診中、医師の質問には答えない。というより、部屋から出て行ってしまうという、、、(笑)
そもそもADHDって何?注意欠如多動性障害というらしくその症状は様々だそう。
うちの子は中でも軽い方と言われました。
それを聞かされた私。どうしていいかも、医師と何を話したかもわからず。頭の中はパニック!
別の専門医にも2件かかりましたが同じ事を言われました。認めたくなかったんですよね。
5年間普通だと思ってた息子にまさか障害があるなんて、、、
毎日辛くて泣いて自分を責めました。育て方が悪かったんじゃないか、私が全部悪いんじゃないか。
怒りと悲しみの葛藤でした。ポジティブな私でもさすがにへこみました。
主人は毎日元気のない私に気を使ったんでしょうね。障害があってもなくても私たちの子であってこれまでとなんら変わらない。
普段と同じように接して過ごしていけばいいと言ってました。おかげで夫婦で第一難関を突破しました。
それから、私もネットで調べたり医師に相談したりとこの子にあった環境を整える事に。
通院や訓練で病院に定期的にかからなくてはいけないのですが、田舎に住んでいた為病院には車で2時間かかります。
今後の事を考え新年度までに都会へ引っ越すことにしました。
ホント思い切りました。全てが一からになるのでね。手続きやら家探しやらこの子にあった学校やらで。
後々、引っ越して良かったと実感するのです。
年長の1年間は本当に早かったです。病院や療育の訓練で結構な時間を使いました。
無事卒園を迎え、翌日には引っ越しも終わりました。
新しい町に興奮する息子君。私は、不安だらけなのに子供は慣れるのが早いですね。
あっという間に地域の小学校へ入学しました。ちなみに通常学級か特別支援学級かで迷いましたが特別支援の情緒学級にしました。
私の時代の特学は変な子(自分とは違う子)、一緒には遊べない子のイメージが強かったのですが今はそんなことないんですね。
特学ですがほとんど通常学級で勉強や給食を食べて過ごします。一日に1時間だけ別のクラスで勉強をするようです。
小さい頃から子供なら誰とでも遊べてしまう子でしたので友達の心配はありませんでしたが、他の子が「何で違うクラスに行くの?」と疑問が出てきていたようです。
担任の先生がうまくみんなに伝えていたようなので助かりました。
入学した当初は椅子に45分間座っているのが大変だったようで、10分間教室からでて先生と校内を散歩したりと気分転換を図っていたようです。
思ったより難もなく、1年間すぐに過ぎました。
2年生になってからは1年間過ごしてたくさん教えて頂いたからか学校についてからの支度や忘れ物(母がほとんど支度している)は心配なくなりました。
2年生もあと少しで終わりです。3年生からは通常学級にしようか迷ってるところです。
いつまでも教えてもらえるほど社会は甘くありません。少しでも自立できるよう親も厳しくならなくてはと感じています。
同じような子を持つお母さんたちはどう考えているのか気になるところです。
まだまだ未熟者の母ですがアドバイス等していただけると幸いです(^A^)
長文ご覧いただき有難うございました。
これを書いたのは2018年1月のものです。